プロフィール・生い立ち 私が児島に生まれてから、岡山県議会議員になるまでの生い立ちをご紹介!

プロフィール

ご挨拶

はすおか やすし 元気で夢のある21世紀、岡山づくりを!
2003年4月7日。
子供の頃、TVや漫画で大活躍していたヒーロー「鉄腕アトム」の誕生日です。あの頃みんなで夢みていたこと、もう忘れましたか?
掃除や洗濯、食事の世話までロボットが全部やってくれたり、無公害のリニアカーで道路がなくても自由に移動できたり。
宇宙へも行ったり来たり。

しかし、現実はどうでしょう?
そのような夢を見ていたこととはずいぶん違う世の中になりました。
現在は、超長期低迷デフレ経済にあえぎ、超少子高齢化時代を迎え、児童虐待や犯罪の低年齢化など、以前には予想もしなかったような現象が出現してきております。

そのような時、大人の責任として我々もそうであったように子どもが元気で夢の見られるような社会をもう一度、創っていかなければなりません。
また、9・11以来、当たり前だと思っていた平和が遠くなりました。
このようなとき、県政も自らがときの流れに敏感になり、自らが気づき、自らが変わらなければなりません。
そのためには、県民の皆さん方と一緒になり、力を合わせ、分け隔てのないレベルで公平な視点で県政を改革することしかありません。そう誰もがプロ野球選手に憧れたように、子ども達に大きく、元気で、自由な夢が見られるような社会をもう一度、創っていきたいのです。

親は親たれ、子は子たれ。
倫理に裏打ちされた、まっとうな努力がまっとうに報われる社会でなくてはなりません。主人公は、あなたです。
さあ、県政改革に一緒に立ち上がりましょう!

プロフィール

はすおか やすし
はすおか やすし(42)
昭和39年 倉敷市児島に生まれる
昭和52年 倉敷市立赤崎小学校卒業
昭和55年 倉敷市立味野中学校卒業(野球部所属)
昭和58年 岡山県立児島高等学校卒業
(陸上競技部・やり投げ、硬式野球部創部)
昭和62年 東海大学政治経済学部政治学科卒業
(準硬式野球部所属)
平成5年 倉敷市議会選挙にて28歳(最年少)で初当選
平成9年 倉敷市議会選挙にて2期目当選
平成12年 岡山県議会議員補欠選挙にて初当選
平成15年 岡山県議会議員選挙にて2期目当選
平成19年 岡山県議会議員選挙にて3期目当選
平成23年 岡山県議会議員選挙にて4期目当選
現在
平成26年 総務委員会・決算特別委員会
  岡山県軟式野球連盟会長
岡山県レスリング連盟顧問
岡山県立児島高等学校(現倉敷鷲羽高校)野球部OB会会長
歴任
平成12年 生活環境保健福祉委員会、地域整備特別委員会
平成13年 文教委員会副委員長、決算特別委員会
平成14年 農林水産委員会、青少年対策・男女共同参画特別委員会
平成15年 商工労働警察委員会、決算特別委員会委員長
平成16年 土木委員会委員長、青少年対策・男女共同参画特別委員会
平成17年 文教委員会、決算特別委員会委員長
平成18年 文教委員長、決算特別委員会委員
平成19年 産業労働警察委員会委員長、決算特別委員会
平成20年 土木委員会委員長、決算特別委員会
平成21年 総務委員会、文化振興・環境対策等特別委員会
平成22年 総務委員会、監査委員
平成23年 総務委員会、決算特別委員会
平成24年 文教委員会、行財政改革・夢づくり等特別委員会、議会運営委員会委員長
平成25年 文教委員会、決算特別委員会

Yasushi Hasuoka Profile Data

生年月日
昭和39年10月11日生まれ
血液型
A型
星座
てんびん座
趣味
野球、音楽鑑賞、読書
家族
妻(純代)、長男(健太郎)、次男(航平)、三男(大輔)、父、母

生い立ち

3500g。普通。

1964年昭和39年10月10日、戦後の高度経済成長の真っ只中、いよいよ我が国で初の開催となったエボックメイキングとも 言うべき、東京オリンピックの開会式の幕が上がりました。このオリンピックでは、女子バレーボールでの東洋の魔女の 大活躍や、マラソ円谷幸吉の活躍(第三位)や、アベベの連続優勝など全国民が、感動と興奮に酔いしれておりました。

その開会式の翌日、1964年(昭和39年)10月11日、当時は児島市(現倉敷市)赤碕で父忠孝、母美代子の末っ子の長男(姉2人) として生まれました。3500g。普通。

甘えたがりの引っ込み思案

はすおか やすし
幼い頃は体も弱く、喘息や虚弱体質でありました。
当日は、保育園と幼稚園の競合時代で、頂くものによって誰もがどっちに 行くか決めていました。
私は幼稚園にしましたが、行くのが嫌でよく朝方から逃げ回っておりました。
父親に見つかり車に 放り込まれ、何かに束縛されるのが嫌で・・・・いやいや、ただの甘えたがりの引っ込み思案だけです。

ベースボールキッズ

はすおか やすし
小学校の入学式では、母親の列の方に泣きながら連れられていたことを、未だによく引き合いに出され、くそーと嘆いても 遅かりしです。
そのような私に変化をもたらせたのは、やはり子ども会のソフトボールを始めてからだと思います。

以前から野球は父の会社のチームの試合に連れて行かれたりして好きでしたが、2年生から実際にボールに触れるように なってからは学校生活でも、子ども会活動でもなぜだか積極的になれるようになりました。
そのかわり、ソフトボールは しこたまやりましたし、遊びの中でも3角ベースや、ピン球で野球の真似事などをするし、完璧なベースボールキッズの 出来上がりです。
以来、学校と野球の練習という反復を、大学を卒業するまで続けることになりました。

わずかな自慢です。

はすおか やすし
野球は巨人一辺倒。
学級委員もずっとやるようになり、中学校では生徒会副会長、高校では生徒会長をやらせてもらいました。
中学の野球部は、わたしが入学した時、1年生の時に復活したもので、先輩の怖さや野球の難しさなどみっちり教わりました。結局、3年生まで1勝もできず冬の時代でした。

高校の時は、当時なかった野球部を作るためという目的のみでした。
それまでは、監督の薦めで陸上競技部に入部し、槍投げや1600mリレーのメンバーで頑張っていました。というのは口実で 野球部がでるまでの期限付き入部で、肩の筋肉をつけるというのが本来の目的でした。

しかしひょうたんから・・・ということもあり 高校2年生の県年間ランキングでは51m04cmで6位に入るなど副産物もありました。
野球部の方は創部して半年というぎりぎり ではありましたが、恩師の先生のご尽力により、高校3年生の夏が間に合いました。
10-8で当時の備前高校に1回戦負けでしたが 4番で終盤に敬遠されたことがわずかな自慢です。

体重68kg。頭の中に太るという文字はありませんでした。

その余韻をかって、大学で野球部に入ろうと思ったのですが、運のつきでした。
硬式野球部はセレクションのため入れず、体育会で準硬式野球部という総勢100人以上の部員数で、甲子園経験者がゴロゴロという ものすごいところに入部してしまいました。
このとき、初めて野球にはレベルがあって、全国レベルという水準の高さを知りました。
365日中350日くらい練習があり、帰郷もままならず、服装も学ランで通学、他の部員はほとんど体育学部の人ばかりで内容もきつく 先輩後輩のけじめもきつく早くやめようやめようという日々を過ごしておりました。

辞めずにすんだのは、やはり友情の賜物と思います。戦友と傷をなめ合いました。
体重68㎏。頭の中に太るという文字はありませんでした。
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